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「嫌われる勇気」…まず「介護を楽しむ」と決心する2017年10月08日 22:19

「嫌われる勇気」   岸見 一郎, 古賀 史健 /著 2013/12/12出版
 

6月18日図書館で予約した時、11冊で80人待ちでした
予約から4ヶ月半経って、ようやく借りられた10月4日時点でまだ予約43人待ちでした。人気ありますね~。
 
一般的にはこの本がアドラー心理学の入り口なのでしょうが
今年4月に手に取った「アドラー心理学入門」を最初に7冊目になりました
 
この本に書いてあるように
「何気なく手に取った一冊の本が翌朝からの景色を一変させてしまう出逢い」になりました。
 
 
特に今年の2月に主催していた介護者の会のちゃぶ台返しをしてしまったので
人生の意味、幸福、介護、ブログや介護者の会の目的などについて考える機会となりました。
 
結果、7冊(図書館4冊、古本1冊)も読み漁ることになりました。
 
アドラーの経歴などそぎ落とされ、ポイントはわかりやすく
この本が岸見アドラー学の決定版でベストセラーになった理由がわかります。
 
今まで読んだ本に何度も出てくるフレーズはありますが新鮮です。
予備知識として持っていることが理解しやすい。
改めて自分の課題に落とし込めます。
 
---新しい気付き---
 
■まず「介護を楽しむ」と決心する(アドラーの目的論)
 
介護だから楽しめないのか?
アドラーが否定している原因論
で言えば、
「介護」が「楽しめない」原因とすれば、介護している人はすべて楽しめないことになります。
「介護だから、金がないから、時間がないから幸せにならない」というのは
アドラーの言う「劣等感コンプレックス」、「見かけの因果律」、「人生の嘘」です。
「介護」「お金」「時間」と「楽しむ」とは因果関係がないと思います
 
アドラーが唱える目的論からみれば
「介護」を理由に人生を楽しめない人は
まず「楽しまない」と決心し、その目的のための理由を「介護」にしている
だから、たとえ「介護」がなくても人生を楽しもうとしない。
楽しむ方法を見つけようとしない。
 
だから、まず「介護(人生)を楽しむ」と決心して、その目的のために課題に挑む
 
「原因論を目的論に転換するコペルニクス的転回」です。

実に痛快だ! 

 
調和を欠いた支援者たち

一部の虐待や事件を見て男性介護者のネガティブキャンペーンをする調和を欠いた支援者たち
介護者は「不幸自慢」「他者比較」をして、そして支援者たちは「頑張らなくていい」と「自立」を否定し、人生の課題に立ち向かわない「劣等感コンプレックス」を推奨する

(参考:「人生の調和を欠いた生き方」= 物事の一部だけを見て全体を判断する生き方)
 
「孤立防止」や「介護破綻防止」ではなく、「楽しく介護をする」ことを目標に
「横の関係」から課題に立ち向かう「自立すること」「勇気づけ」が支援というものではないだろうか

 
 
■やってはいけないこと
・原因論
・やるべきことを前にして「やれない理由」を探す
・見返りを求める
・他人の課題に踏み込む
・物事の一部だけを見て全体を判断する生き方(人生の調和を欠いた生き方)
 
■幸せになるために
・人生の課題
 行動面の目標①「自立すること」②「社会と調和して暮らせること」
 心理面の目標①「わたしには能力がある」②「人々は私の仲間である」という意識
・「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」
・幸福とは「貢献感」である。
・承認要求を捨てる(他者の期待を満たすために生きない)
自由とは嫌われることを恐れず自分の生き方を貫くことである
・いま、ここを充実させる。楽しむ。
いまできることを真剣かつ丁寧にやっていくこと =人生は常に完結している




-------------
劣等感コンプレックス 劣等感を言い訳に人生の課題に立ち向かわない
見かけの因果律 本来は何の因果関係もないところにあたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し納得させてしまう。
人生の嘘 さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとすること
不幸自慢 不幸を武器にした優越感
優越コンプレックス あたかも自分が優れているかのようにふるまい偽りの優越感に浸る 根底には劣等感
勇気づけ  「横の関係」から、自分には価値があると自信を持ち、自らの力で課題に立ち向かうように働きかけること
「馬を水辺に連れていくことはできるが、水を飲ませることはできない」

コメント

_ りすやま ― 2017年10月09日 13:51

父の外来受診の待合室で、すみのほうで車椅子をリクライニングにしてそっと順番待ちをしています。
すると、親切な人が話しかけてくれますが、
胃瘻の交換に外科に行くと、『胃瘻じゃ大変ですね』
泌尿器科に行くと、『2時間毎の導尿じゃ大変ですね』
耳鼻科に行くと、『気管切開で酸素吸入とたん吸引じゃ大変ですね』
と毎度言われます。
『そうでもないんですよ。お父さんが苦しくなければ私がうれしいから、今は毎日幸せなんです』
と答えますが、意外だという顔をされます。
価値観が違うんだなと感じています。
医者や看護師が私に『頑張り過ぎるな』と言いますが、
父の事を信頼して預けられる場所もないわけですから
私がやりたい事をやらせてもらっています。
今が幸せなんだから、
今を楽しませてくださいって思います。
コッシーさんが毎日充実されて過ごされているのをブログで拝見して
私も幸せです。
うまく表現出来なくてごめんなさい。

_ コッシー ― 2017年10月09日 14:59

りすやまさん

コメントありがとうございます。

2人の「いま」が充実していれば、楽しければ幸せです。

いちばん不自由なのは要介護者ですよね。
おそらくりすやまさんの方が仕事量は多いと思いますが
私も余力を持ってやっているので大変とは思っていません。

『ほら、あの人がいるじゃない?結構、楽しそう。』って思ってもらえたら幸いです。

急に寒くなって、短い秋を満喫しようと思います。

_ コッシー ― 2017年10月10日 08:55

りすやまさん

介護者に対する声かけを、アドラー心理学的にちょっと考えました。


■大変ね

私は声をかけられにくいのか、「大変ね」という言葉をかけられることはありませんが
「大変ね」と言って「大変です」と答えを期待するのは、「不幸です」と認めさせたいのかな?

「哀れみや同情」も「ほめるや叱る」と同じようにアドラーの言う「縦の関係」
「能力のある人が、能力のない人に下す評価」なんでしょうね。

「寄り添う」とか言うけど「横の関係」「対等」で声をかけるって難しいですね。
普通の世間話でいいんですけどね。


■頑張りすぎるな

自立とは「自分で選んで(決断して)、自分の力で解決する。」ことで
「自分の力で解決できないときは助力を求めることも含んでいる。」のです。

過ぎるか過ぎないかは自分で判断することだと思います。
これも、人の能力を過小評価しているのではないかと思います。

_ りすやま ― 2017年10月10日 14:16

コッシーさん ありがとうございます。

声かけには
上から目線で見られている場合があるって感じですかね。

家庭によっては、要介護の家族に施設に入所してもらったり、
病気なら長期入院してもらう人もありますから
価値観と家庭の事情は色々なんだなと感じます。

でも、自分だったら家族と家にいたいし
寝たきりなんて身体が弱るだけでつまらないです。

私も、出来ればコッシーさん御夫婦のようにどんどんお出かけしたいのですが、
進行性の神経難病の父の状態ではますます難しくなっています。

せっかくお出かけしても
はたから見ている人は
『施設にいれればいいのに』とか思うのでしょうね。
在宅だと楽しいのにね。

_ りすやま ― 2017年10月10日 16:03

さきほど『声かけには 上から目線で見られている場合があるって感じですかね』
と書き込みましたが、『上から目線』よりも
『他人事』というように感じます。
他人事だから、合理的に割り切れるんだと思います。

_ コッシー ― 2017年10月10日 19:11

りすやまさん

ありがとうございます。
こういう議論。私の大好物です。

2例の声かけは
相手の立場や要介護者の立場に立ってではなく、
優越感、無理解によると思います。
介護者の立場に立てば出てこない言葉です。

施設に入れるか入れないかは介護者の判断(自立)です。
私も気力体力が充実している今は断然在宅ですが
自分の力がなくなれば助力を求めるのも介護者の自立だと思います。

助力を求めることは残念なことではありますが
恥ずかしいことではありません。

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